子が成長するにつれ、親子での意見の相違が度々出てきました 。
何度もそのような事を経験していったときに
自分が経験上感じたことを
子供に押し付けていると感じました。
子供は別の人格として
経験をして成長している中で
親が経験したことは子に教えているつもりでも
それは子供が必ずしもそう判断するわけではないし
親が考える事が、必ずしもベストの選択ではないとゆう事です。
むしろ別人格として
子が感じたことを、なるべく尊重するほうが
自然だと感じるようになりました。
たとえそれが
その時の間違った選択をしてしまったとしても
それは勉強だと、捉えればいいのだと思うようになりました。
無意識に、子の転ばぬ先の杖として
意見を言っているようでも
それでは子は勉強にも経験にもなりません。
それに、自分自身が必ずしもいつも
良い選択をしながら生きてきたわけでもありませんから。
親も一緒に育つもの
色々な考え方があるとは思いますが
私の場合は
もし 上記のような考え方を
子供が小さい時から出来ていたとしたら
もっと単純に子育ちが楽しかったと思いますし
子供との関係はもっと良いものになっていただろうと思います。
但し 後悔などはしていません。
その時々で自分もまた一生懸命やってきたと思います。
子供には 至らない親だと思われるかもしれませんが
子供にもそのこと自体を話してしまいました。
自分が親一年生なのだから
他人の親の良いところだけを見て
比べられても困ると話しました。
親だって迷いながら子育てしていますが
子供もまた気が付かないうちに
他の親と自分の親を比較しているのだと思います。
そういった考え方を捨てた時に
親子でお互いが尊重しあえるようになっていくのだと思いますから
他との比較などせずに
自分なりの子育てを
感じたまま実践していけばよいのだと感じています。
ベストな選択肢なんてあるのだろうか?
私から見ていて
特にお母さま方に多いのですが
子に対して常にベストな選択肢を
提供しようとしている方をみかけますが
本音を書けば 自分もそうでしたが・・・愚かだと感じます。
人は論理的に生きている訳ではないと分かっている
感情が行動の原点だと分かっていながら
子供に自分の経験で得た知識を押し付けることは
答えが複数ある人生において
親の自己満足にしかすぎず
尚且つ子供勉強の機会すら奪っていると感じます。
火を触るとやけどしますが
子供が大けがしないように目配りするのが親の務めですが
あくまで大やけどです
ちょっとだけ火傷したものは子供の経験になります。
感じ方は子が感じて対応するようになりますですので
最初から火を全く触らせない
そうやって育てた子供が大人になる方が怖い事だと思います。
子供の人生の主役は子供
子育てで 子を自分の分身のように扱わない事だと思います。
親のストレスの幾らかは親の勘違いで起きていると思います。
良い学校・良い就職・幸福
それを願わない親は居ないと思いますが
それは子供が自分で切り開いていくもので
子供の人生の主役は
親ではなく 子供自身にあるので
子供が自分の思ったように行動しない事に対して
ストレスを抱く必要はないのだと思います。
親も子も勉強している最中なのだと思います
親一年生でありながら
90点や80点
最初から100点満点の親になろうとゆうのは強欲すぎると思います。
ですから片意地張らずに
子供の意見を聞いて会話しながら全て決めていけば
ストレスより楽しい子育てができると感じます。
まとめ
考え方に対しての成否は無いとゆう前提ですが
私が説明した逆の考え方で
常に子供に対してベストな選択をした場合
子供は痛い思いをせずに育ちます
その時に人の気持ちを考えられるようになると思えないこと
ベストな選択に対してベストな行動をして失敗した場合
子は自分をダメな人間だと思うようになるでしょう。
最悪な場合 反省もせずに自己都合のいい訳ばかりをするようになります。
多くの場合 反省できない人間に成長はせず
その子は 無意識の中で 更に常にベストな選択をするように行動して
成功と失敗を経験していくなかで
成功は当たり前 失敗は 心の重みになり
その言い訳ばかりを探すようになる可能性があるとゆう事です。
それが
子供の幸福になるとは思えないと感じます。